本日14:46TVを見ながら黙とうを捧げました。
11年前の今日、私は日本最大の車のオークション会場にいた。
地震は私がコピー機の前にいるときに起きた。
なんかフラフラとしたので、他のスタッフに地震じゃない?と聞いている間にどんどん揺れが大きくなった。
扉の外へ出ると建物が揺れ、地面の境目がズレはじめ、立っているのもやっとだった。
会場近くに止めてある高級車のセキュリティがビービー鳴り始める。
会場内のスタッフが心配だったが、建物が崩れ落ちないか心配だった。
事務所にはTVがないのでニュースを見ることができなかった。
パソコンでYAHOOニュースを見て震源地を調べた。
すでに携帯電話は役に立たず、会場に向かっているドライバーや本部事務所と連絡が取れなくなっていた。
少し落ち着いたころ、公衆電話を使って実家へ電話した。
何度電話してもつながらず、とても不安になったがようやくつながって無事を確認した。
旦那は職業柄、しばらくは帰れないだろうと思った。
PC画面に映る津波の映像は映画のような感じでとてもリアルタイムで起こっているとは信じがたい映像だった。
16時頃 千葉の石油コンビナートの爆発 このニュースは近くだっただけに恐ろしかった。その後のフェイクニュースには離れた親戚が騙された。
私は連絡の取れないまま業務を遂行し、家に帰れたのは夜の11時だった。
家についてすぐ犬二匹の無事を確認した。
何度も来る余震に震えて可哀そうなことをした。
仕事なんか無視して帰ってくればよかったと思った。
倒れている本棚やテレビを直して、ホッとしてこたつへ入ると足元がぬれていた。
犬たちのおしっこだった。泣きながら片づけをした。ごめんね~と犬たちにあやまりながら。
翌朝、起きて表へ出ると近所の方が来て、昨日の様子を教えてくれた。
家の瓦が落ちて、片づけをしてくれたそう。ありがたかった。
落ちた河原で怪我をする人がいなくて本当に良かった。
瓦屋さんを紹介してもらい、連絡をして、応急処置をしてもらった。
余震がまだ続き、地震酔いになった。
地震がなくてもフワフワしていたので、ペットボトルに水を半分入れて、不安になると水面を見て揺れていないのを確認して安心した。
翌日、原発の爆発・・・怖くなって2~3日は仕事を休ませてもらった。
実家は原発から離れているので大丈夫という事だったが心配だった。
しかし、すでに周りはパニックになっていてガソリンスタンドが大渋滞だった。
そんな心配をよそに、兄が両親を横浜の家に呼んでいたらしい。
両親は家を出て渋滞の中横浜に向かったが、何時間も移動しても栃木がやっとだった。
おばさんの家に泊めてもらいながら、心配になった私は家に呼んだ。
この時親が乗る車がプリウスで良かった。
数日家にいて、毎日テレビとにらめっこしていて、ついに家に帰ると言い出した。
周りの人が大変な思いをしているのに自分たちだけが逃げてきたのが嫌になったようだった。
私は止めなかった。
何日か仕事へ出かけたが、埼玉、茨城、もちろん千葉も地震の影響は大きかった。
地盤沈下で電柱は倒れ、田畑は砂地になり、古い家はつぶれ、マンションは傾いていた。
移動するのも道がふさがっていて、遠回りするもなけなしのガソリンで到着できるかとても不安だった。
通勤は車では通常20分のところが1時間かかったので、しばらくバイクで通勤した。
燃費も良かったので助かった。
しばらくして柏市が放射線量が高いと報道され、実家にいたほうが安全だったと後日笑い話となった。
今笑いながら当時を振り返るのがとても幸せだと思う。
生きてるだけで丸儲け。死ぬこと以外はかすり傷。辛いときはこの言葉を思い浮かべるようにしている。
震災で亡くなった方は1万5900人、いまだ2千人以上の方が行方不明。
避難生活中に亡くなった方が4千人近くいます。
政府主催の追悼式は昨年が最後だったようです。なぜでしょうか?風化させないためにもやり続けるべきだったと思います。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、皆様が前も向いて歩いていけるようにお祈りいたします。
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